夜の横浜

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高校生のとき交換留学で冬に横浜に行ってから、もう10年も経ったのかと驚きました。当時、ツアーガイドの人から日本では最も美しいとされる夜景が3か所あり、そのうちの1つは夜の横浜みなとみらいです。あぁぁぁ、見たい!当時は東京に直帰しなければならず横浜の夜景を見ている余裕がなかったため、午後までしか横浜にとどまることができませんでした。いつの日か、夜景を見にここに戻ると誓いました。とうとう、私は夜横浜に帰ってきました!私が再びそこに帰るのに10年かかりましたが(笑)。人間はあれこれ計画しますが、決めるのはいつも神様です。実は当時は2年以内にまた横浜に戻ってこれると思っていました。私は日本が大好きなので、日本で学士号をとるつもりだったからです。でもバンドン工科大学に合格したので取りやめになりました。 思いがけず、友人が熱海から東京に帰る途中で、横浜に立ち寄ってからにしようと誘ってくれました。横浜では有名な観覧車に乗りました!びっくり!ツアーガイドのハミさんが10年前に言った通りで、横浜の夜景は本当に美しかった。 ^^ みなとみらい コスモワールド観覧車inみなとみらい横浜 イオンモールとジェットコースター インターコンチネンタルヨコハマグランド 横浜湾 横浜のオフィスとショッピングセンター ランドマークタワー横浜 観覧車に乗った後、ジェットコースターに乗りたかったのですが、乗ろうとするとしり込みして、ジェットコースターなんて面白くないよとしつこく言う人がいて、結局乗れませんでした(笑)。 そのあと、みなとみらいまで船旅を楽しむ予定でした。しかし、不幸なことにあと少しのところで船のその日の運航が終わってしまい乗れませんでした。 最後に山下公園に行くことにしました。途中、足が痛くなってきました。ブーツを履いていると、歩く距離が延びるにつれて足に水ぶくれができてきました。私はゆっくりゆっくり歩くことしかできません。ええと、インドネシア人の友達の中では、私は一番速く歩くと有名です。 1日40km歩いた記録も持つタフな旅人です。でも、疲れることを知らない日本人の友達と歩くのは本当に疲れます。彼は本当に人間なのか、どうして彼はまったく疲れないのかと思っていました。^^ ’彼は私の靴が問題とみて、靴を交換しないかと行ってきました。ねえ、私の足は小さすぎるわ、サイズ36だもん(笑)。まあ、とにかく我慢するしかありませんでした。 横浜マリンタワー やっと懐かしの山下公園に着きました! 10年前、食べ物を求める鳥に囲まれながら同じ場所にたたずんでいました。ベンチに座って、山下公園の景色を楽しみました。本当に寒かったので、温かいコーヒーが飲みたくなってきました。もう秋で夜はとても肌寒く感じます。私の足が痛むのを気遣って、友達は走ってコーヒーを探し回ってくれました。しかし、すでに多くのカフェが閉まっているので、見つけることができませんでした。気にしないで! 10年ぶりに山下公園に戻ってこれただけでもすごく嬉しかったです。 ^^ 山下公園 横浜赤レンガ倉庫 帰国の1週間前、友達と一緒にまた横浜にやってきました。友人は横浜にラーメン博物館があり、ハラールメニューもあると教えてくれました。どうやらハラールメニューはビーガンメニューのことだったようです。鶏肉のトッピングのラーメンを食べたかった。(これ切実笑)大丈夫です、戦後すぐの東京を模したラーメン博物館でラーメンを食べられたなら、結果オーライでした。 1958年に東京に設置されたラーメン店 ハラール/ビーガンラーメン 食べ終わった後、みなとみらい・横浜の夜景が見えるカフェを見つけて、そこで政治、歴史、そして未来について話し合いました。^^ みなとみらい横浜 横浜駅へ 横浜、次来れるのはいつだろう。10年後とは言わずに、もっと近いうちに来れるといいな。 次 : 立面からの東京 前 : あしかがフラワーパーク

横浜ツアー

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200年12月15日 1日プリンスホテル横浜に滞在した後、そのホテルは以前のホテルよりも小さいホテルでしたが、とても快適で豪華でした。さてホテルから出て横浜周辺のツアーをすることになりました。 ^^それでは、CMバス10に戻って生徒たちと混じります。CM10の生徒たち、ハミさん、モモさん、アサギさんと再会できてとてもうれしかったです。 そしてピコさん。ピコさんは大島さんの後任です。大島さんは大学に戻ったので、参加できませんでした。 最初の旅行先は山下公園という、海に近いとても美しい公園でした。たくさんの鳥がいましたが、奴らはいたるところにフンをしようとするので、注意しなければなりませんでした。 >.< 友達の一人がフンをお見舞いされました。彼女(イスラム教徒)はフンのせいで祈ることができないことを恐れていました。 ^^ ‘有名な横浜タワーも山下公園にあります。 また、山下公園で有名なのは、港を取り囲む美しい船です。氷川丸など有名な船があります。 ハミさんは日本には2つの有名なデートスポットがあると教えてくれました。東京ディズニーランドと夜の横浜です。 途中、旅行ガイドのパンフレットを手に取りました。パンフレットに夜景の写真が掲載されていました。本当にすてき!Hwaaa…見たかった!でもこの日は夜を待たずに横浜を出て千葉に戻りました。公園の周りには、アイスクリームの自動販売機がありました。本当に買いたかったのに、ポケットにはわずかなお金だけ。私は自動販売機の前にじっと立つほかありませんでした。すると私の友人は私にアイスクリームをおごってくれました!!オレンジアイスクリームでした!うーん。友達の緑茶アイスクリームも美味しかった。日本のアイスクリームはとても美味しかったです。 :9 山下公園を訪れた後、中華街で昼食をとりました。ハミさんが「最大のチャイナタウンはどこですか」と聞くと生徒たちはふざけて「中国にあります」と答えました!みんな笑ってた(笑)。ハミさんによると、世界最大の中華街は米国サンフランシスコにあります。そして二番目に大きいのはここ横浜です。横浜自体東京に次ぐ人口密度の高い県で産業の中心地です。私たちが中華料理店に入ったとき、ハミさんがここの料理には豚肉が入ってないと教えてくれたので、食事を楽しむことができました。はい、いただきます!! ^^ 食べ物はとても美味しかったです。突然、ある国の生徒たちが驚いた。彼らは食べ物にアルコールの香りを感じ取りました。ウェイターに尋ねると、本当に酒が入っていることが判明しました。ウェイターはアルコールは入ってはいるが少量であり、すべての食べ物にワインが混ざっていると伝えました。たとえほんのわずかでも、食べ物にアルコール飲料が加えられている場合、イスラム教徒はその食べ物を食べることを禁じられています。結局、その食べ物はパンに換えられました。インドの生徒は私たちが食べるのを待ってくれました。ヒンズー教徒も牛肉を食べることができなかったからです。事件について知ると、ツアーガイドは謝罪した。 中華街から、三菱みなとみらい産業博物館に行きました。ここはかなり記憶に残っています!たくさんのロボット、乗り物のレプリカ、宇宙船、船などがありました。「はなまる」と呼ばれる有名なロボットがありました。 kawaii(かわいい)とkakoi(クール)の2つの単語しか理解できませんでしたが。私たちがそれらの言葉の一つを言うと、彼が動く仕組みです。とてもかわいい。^^ 三菱みなとみらい産業博物館から、東京湾アクアライン(海ほたる)に向かいました。道中、水中ト​​ンネルを通過します!とてもクール!!トンネルのある普通の道が、海の中にありました。うわー、再び日本で素晴らしい場所を見つけました。その場所、海ほたるは人工島です。そこから、海の近くや海に立つ多くの工場を見ることができました。 海ほたるを後にして、再び千葉に戻りました。マロウド成田インターナショナルホテルに戻ります。東京湾と呼ばれていますが、実際にはまだ神奈川県にいました。東京、千葉、横浜は隣り合っています。東京ディズニーランドも同じように、東京にあると思われがちですが、実際には東京ではなく千葉にあります。 この日はバスCM 10のメンバーとお別れの日でした。翌日、私たちは同じ国からの学生と再会するからです。とても悲しいことでした。CM10のメンバーと一緒に多くの興味深い経験をしました。さまざまな人種、宗教、民族の人々がともにありました。 : ’) 旅行中、全員が日本についての印象を聞かれました。突然、ももさんが泣きました。ハミさんに関しては何度か泣いているのを見たことがあります。でも、普段元気なももさんはなぜ泣いているんだろう?私とCM 10の他の生徒たちも泣きました。T.Tももさんは日本・特に鳥取での滞在中、私をたくさん助けてくれました。私が出会ったすべての日本人はとても親切でした。彼らは私がお願いする前からためらわずに助けてくれました。日本人はそれを「おもてなし」と呼び、ゲストのニーズに注意を払い、最高のサービスを提供することを旨としています。日本はイスラームの教えの一つを守っていると思います。それはゲストを迎えることです。 ホテル、レストラン、観光名所で、私たちはお客様として本当にいたせりつくせりで歓迎してくれました。私は欲しいがままにすべてをお世話されている王女様になったかのように感じました。ホームステイ中お父さん(ホストファーザー)が、私が泊まったホテルはみな高級ホテルですと教えてくれました。 ホテルに着くと、私たちはツアーガイドAFSボランティアからの手紙が入った封筒を受け取りました。その日は日本に初めて来た日と同じように、マロウド成田国際ホテルに泊まりました。じきに私たちはそれぞれの母国に帰ります。明日は閉会式になります。私は目を閉じたくありませんでした、ここではすべてが素晴らしすぎたからです。 次 : 東京でのセミナー 前 : 青山剛昌美術館

青山剛昌美術館

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2009年12月14日 この日はホームステイの最終日でした。私はホームステイ中に多くの貴重なことを学びました。日本人は本当にルールを尊重します。彼らは交通標識に従い、すぐに列を作り、横入りをしませんでした。彼らはとても誠実です。彼らにとって間違いを犯すのは本当に恥ずかしことのようです。インドネシア人がこうした日本人による好例に従うことができることを願っています。 顔を洗って朝食をとった後、部屋に戻って片付けをしました。突然、お母さんに呼ばれました。どうやら、お父さんは仕事のために早朝に出勤しなければならなかったようです。彼は言葉少なく、ただ笑顔でありがとうと言いました。彼の顔を見ると、彼を第二の父親のように感じました。 ^^私は日本人のようにお辞儀で応えました。私は彼から学んだ多くのことを、私の人生に活かすことになるでしょう。彼は多くのこと、特に漢字について教えてくれました!インドネシアに帰ったら漢字を習うと約束しました。漢字はパスワードのようで本当に面白かったです。私の持ち物を下に持っていったとき(私の部屋は2階だった)、自分の持ち物が多すぎて私は本当に困っていました。百円ショップのおかげで、私の持ち物が重くなっていきました。^^ ’日本にはたくさんのかわいいアイテムがあり、日本に来たのは初めてだったので買い過ぎてしまいました。日本は私の子供の頃からの夢でした!そして今回ようやく夢が叶いました。 私は3つのバッグとスーツケースを運びながら、公共交通機関で移動していたのでたくさん歩かなければなりませんでした。横浜にいたころは、大きなサイズのバッグを一つ持ち運んでいただけでした。そこでお母さんはすぐに使えそうなバッグを探してくれました。最初は纏めることができなかったアイテムは、お母さんの魔法の手でバッグに入れられました。お母さんは物を梱包するのがとても上手でした。ジャーと私はお母さんの腕前に驚いていました。お母さん私たちが驚いてるのを見てすぐに笑っていました。お母さんによると、夫と遠くへ旅行に行くとき夫のためにモノを詰めてあげていたので手慣れてしまったそうです。クローゼットの中には、たくさんのバッグがありました。お母さんからその中の2つをもらいました。私が使っていた以前のバッグは、紙とプラスチックでできていたので、すぐ破れてしまいました。これは、私はお土産用におかしなものを買いまくったからでした!ハハ..まあ、海外に行くのは初めてだったし、憧れの日本に来ていたのでね!インドネシアにはない面白いユニークなアイテムを見たら、思わず買いたくなりました。大きな旅行用バッグを1つだけ持ってきていたジャーとは大違いですね。ジャーは持ち物には無神経だったので。突然、オカサンさんがお土産として何かの包みをくれました。おかあさんありがとうございます! : “)さて、中身は何だろう、私は本当に興味がありました。 その後、ジャーと私は鳥取駅に10時15分に連れていってもらいました。鳥取支部の参加者は皆すでにそこにいました。私たちのガイドは桃さんです。突然、アイコさんという名前のボランティア姉妹がやってきました。日系アメリカ人の方です。電車を待っている間、私はあまり口数が多くありませんでした。私はただ微笑み、友達の写真を撮り、お互いにコミュニケーションを取り続けようと促していました。待ちことが多くなったとき、ふと鳥取のツアーマップを見ました。青山五正博物館のパンフレットを見ました。パンフレットには青山五正博物館の展示の一部が記載されていました。うわー、それはやっぱりアガサ博士の車でした! 写真ソース: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gosho_Aoyama_Manga_Factory.jpg ネクタイ型変声機、スケートボードなど、コナンの装備はすべてアガサ博士によって作られました。砂で作られた名探偵コナンのキャラクターのミニチュアもありました。もちろん、鳥取は砂丘で有名です! ふと私が探偵コナンが好きだと言ったとき、八頭高校の生徒が言ったことを思い出しました。彼らは「コナンなら博物館にいるよ」と言った。最初は、言葉の壁のせいで彼らが何を意味するのか分かりませんでした。パンフレットを見た今なら、なるほど。。。彼らが何をいいたかったのか理解しています!ワアア、私は本当にそこに行きたい!!!!あのとき学生が何を言っているのか理解できていたら、お母さんから休日にどこか行きたい場所を聞かれたとき、私は博物館に行きたいと言うでしょう。まぁ。。。これはまた鳥取に帰ってきなさいという思し召し、そう考えることにしましょう。うう、家に帰りたくない、私はまだここにいたいのに。日本についてまだたくさん知りたいことがありました。 鳥取駅から電車に乗り、姫路駅で新幹線に乗り換えて横浜へ向かいました。途中、田んぼや川をたくさん見ました。すべてがきちんと秩序だっていて、きれいでした。また、川の水はとても澄んでいました。川で遊びたい思わせるような透き通った水。 新幹線に乗っていたとき、電車の係員が通りかかりました。様々な食べ物や飲み物を買うことが出来ます。アイスクリームもありました。目の前に座った親切なニュージーランドの先生は、アイスクリームを私の分も一緒に買ってくれようとしました。うわー、どうもありがとうございました!しかし、アイスクリームはすでに多くが注文されていたので、残り1つとわかりました。 先生は私にアイスクリームをくれました。私はばつがわるい感じがしました。しかし、私がアイスクリームを返そうとすると、先生はノーと言いました。先生のご厚意です。先生、どうもありがとうございました。先生は私にアイスクリームをおごってくれたばっかりに、自分の分がなくなってしまいました。 Jenesysのプログラムの中で、私は多くの親切な人たちに会いました。私が会った外国人はみんなフレンドリーだった。みんなが私にとって兄弟姉妹のようでした^^景色を夢中で見ていると、桃さんは静岡を通り過ぎると言って富士山を見ていました。うわー、私はとても気になりました!新幹線が通りかかったとき、富士山は雲に覆われていて頂上しか見ることができませんでした。 雲の後ろの富士山 やっと横浜に着きました!桃さんは、横浜は東京に次いで人口が多い都市だと言った。駅からホテルまで歩いて行きました。ホテル名はプリンスホテル横浜。途中で、私はタバコの吸殻を見つけました。しかし、ごみといえば吸い殻だけが道に捨ててあった。気をつけてみておかないと、気が付かないでしょう。日本には喫煙する男性が多いことが分かった。うう〜喫煙者はいたるところにいました。インドネシアも、日本も、多くの人々が煙草を吸います。彼らは空気を汚しているのに、煙草を吸うことで彼らは笑顔を保つことができるというのは奇妙な話です。幸い、日本には喫煙室が多かったので、減煙にはなっていました。インドネシアでも喫煙室をもっと作るように願うばかりです。 プリンスホテル横浜に到着し、ホテルの建物が非常に独特なことに気づきました。1階と2階はデパートで、私は20階の部屋に泊まることが出来ました。自室に入る前に、日本のホストファミリーでホームステイ中に預けていたものを受け取りに10階に行かなければなりませんでした。その途中、インドネシア人学生ファジャールとアンナに会いました。私は彼らの下に駆け寄って懐かしのインドネシア語で話しました。こんなに幸せなことはない、私はホームステイ中にインドネシアの“バハサ”を耳にしていませんでした。どこに行っても聞こえるのは英語と日本語だったからです。 まだ全ての生徒が来ていたわけではないようでした。ルームキーをチェックすると、ジャカルタ支部の学生レイシャと再び同じ部屋で泊まるようにと言われました。部屋にはまだ誰もいませんでした。彼女はまだ到着していないようでした。彼女は2時間後に到着しました。その間、私は他のインドネシア人の学生とおしゃべりをしていました。同胞と出会うのは久しぶりでした(笑)。ホームステイは5日でしたが、インドネシアの学生がいなくて寂しかったです。彼らのホストファミリーについて話を聞いて、何度も笑いました。 夕食後、夜は勉強していました。ホームステイ中に経験したことを何でも書くように言われていたからです。CM10の学生と一緒にレストランで夕食を摂りました。CM10の子供たちは鳥取、松江、出雲、岐阜にホームステイをしていたようです。ホームステイ中に経験した最もユニークな瞬間を書くように言われていました。ホストファミリーに手紙を書きたい人は、ジェネシスの運営委員会が送ってくれます。そこで、私から感謝を込めて日本の「お母さん」と「お父さん」に手紙を書きました。ホストファミリーのおかげで私は多くの得難い学びを得ました。 実は、他のインドネシア人学生と経験したことをシェアするつもりでした。しかし、勉強していると深夜になったので、強い眠気に襲われました。寝るのを後回しには出来ませんでした。この日は本当に楽しかった。明日には横浜観光が待っています。それがもっとエキサイティングになりますように。: D 次 : 横浜ツアー 前 : 鳥取AFS支部閉会