小田原の忍者と熱海のビーチ
11月3日は日本の祝日である文化の日が日曜日と重なったので、翌日月曜日が代休となりました。そこで、日本人の友人が私を関東の小田原(神奈川県)と熱海(静岡県)に旅行しないかと誘いました。 小田原に行く理由は主に、15世紀に建てられた城である小田原城(小田原城)を見るためです。北城一族の治世では、この城が関東支配の中心となっていました。また、北条氏は当時、敵をかく乱するためにスペシャリストである忍者部隊を抱えていたと言われています。うわーなんと偶然でしょう!、私は忍者が大好きなんです!幼少の頃、忍術学校に入ろうと本気で思っていました。追いつめられると姿を消したり、突然木に飛び込んで手裏剣を投げたりできるようになりたかったものです。(笑)日本人の友達は忍者より侍が好きなタイプです。 小田原城への道 小田原への道は、昔の小田原人の絵が床に描いてある歩道を通り過ぎました。日本では歩道にかわいい絵がよく書いてあったので、旅行中歩道を歩いていても飽きませんでした。 小田原城の中庭に着くと、菊の花が展覧会で飾られていました。当時日本では、新しい天皇、ナルヒトの戴冠式があったからです。大日本帝国のシンボルは菊の御紋と言われています。 菊 菊の一種のようにも見えました いよいよ小田原城に入りました。小田原城は城の歴史、特にこの城における北条氏について説明した博物館も兼ねています。当時、小田原は関東地方(現在の東京を含む)支配の中心でした。最上階から自分が殿様になったかのようにのように景色を一望しました。城の東には海が広がり、城の西には山がそびえたっていました。 小田原城からの海の景色 小田原城からの山の景色 小田原城からの海の景色 北条氏の忍者部隊は有名なので、城の前では忍者の衣装に身を扮して写真を撮りたい人のために、忍者の衣装を貸し出していた。私も忍者になって写真を撮ってみたかったのですが、日本人の友達に笑われるのが恥ずかしかったから・・・(笑)。忍者のコスプレをしている人を見ていました。 小田原は小さい街だったので、ハラールレストランを見つけ出すのに苦労しました。最終的には、小田原名物の天ぷらを食べることにしました。とても美味しかったです。また食べてみたい!:9 天ぷら丼 お昼を食べた後、静岡県の沿岸都市である熱海に向かいました。江ノ島に行ったとき、行くのを楽しみにしていた足湯にいけなかったのを覚えていたので、日本人の友人は私を熱海の足湯に連れて行ったのですが、残念ながらまた閉まっていました。熱海には無料の足湯もありました。私たちがそこに行ったとき…温泉の水はまったく温まっていませんでした。ほんの少し暖かいかな?いや正直に言って、ほとんど冷たくなっていたと言ってもよかったです(笑)。 さて、私の友人は私の足が濡れているのを気遣ってタオルを買ってくれました。彼は熱海での旅が鎌倉ほど楽しくなかったのではと心配し、罪悪感を感じていたようです。彼が日本人として最高の旅を私に体感してもらうことが出来なかったと感じ、彼は悲しそうな表情を浮かべました。ご存知の通り、日本人はゲストをとても歓迎します。私は冗談を言って彼を元気づけようとして、彼は笑ってくれました。そして私は彼に伝えました、「重要なのは旅の目的地ではなく一緒に旅行をすることです」。彼と一緒にいるのはとても楽しいし、並外れた知識を持っているので、私は彼と一緒に旅行するのが好きです。 :)実際熱海の旅も、周りは人が少ないのでプライベートビーチのように感じられて、私は気に入っていました。西スマトラ州パリアマンの故郷を思い出しました。私の村は海が目と鼻の先にあり、朝は人もいなかったのでプライベートリゾートにすることができました。 太平洋を見下ろす熱海のビーチ ビーチそばの家並み 熱海のビーチ 以上が沿岸都市熱海の旅の記録です。嬉 し か っ た あ り が と う !! ^^ 次 : 日光と秋 前 : 鎌倉の夕日と江ノ島の夜