2009年12月14日
この日はホームステイの最終日でした。私はホームステイ中に多くの貴重なことを学びました。日本人は本当にルールを尊重します。彼らは交通標識に従い、すぐに列を作り、横入りをしませんでした。彼らはとても誠実です。彼らにとって間違いを犯すのは本当に恥ずかしことのようです。インドネシア人がこうした日本人による好例に従うことができることを願っています。
顔を洗って朝食をとった後、部屋に戻って片付けをしました。突然、お母さんに呼ばれました。どうやら、お父さんは仕事のために早朝に出勤しなければならなかったようです。彼は言葉少なく、ただ笑顔でありがとうと言いました。彼の顔を見ると、彼を第二の父親のように感じました。 ^^私は日本人のようにお辞儀で応えました。私は彼から学んだ多くのことを、私の人生に活かすことになるでしょう。彼は多くのこと、特に漢字について教えてくれました!インドネシアに帰ったら漢字を習うと約束しました。漢字はパスワードのようで本当に面白かったです。私の持ち物を下に持っていったとき(私の部屋は2階だった)、自分の持ち物が多すぎて私は本当に困っていました。百円ショップのおかげで、私の持ち物が重くなっていきました。^^ ’日本にはたくさんのかわいいアイテムがあり、日本に来たのは初めてだったので買い過ぎてしまいました。日本は私の子供の頃からの夢でした!そして今回ようやく夢が叶いました。
私は3つのバッグとスーツケースを運びながら、公共交通機関で移動していたのでたくさん歩かなければなりませんでした。横浜にいたころは、大きなサイズのバッグを一つ持ち運んでいただけでした。そこでお母さんはすぐに使えそうなバッグを探してくれました。最初は纏めることができなかったアイテムは、お母さんの魔法の手でバッグに入れられました。お母さんは物を梱包するのがとても上手でした。ジャーと私はお母さんの腕前に驚いていました。お母さん私たちが驚いてるのを見てすぐに笑っていました。お母さんによると、夫と遠くへ旅行に行くとき夫のためにモノを詰めてあげていたので手慣れてしまったそうです。クローゼットの中には、たくさんのバッグがありました。お母さんからその中の2つをもらいました。私が使っていた以前のバッグは、紙とプラスチックでできていたので、すぐ破れてしまいました。これは、私はお土産用におかしなものを買いまくったからでした!ハハ..まあ、海外に行くのは初めてだったし、憧れの日本に来ていたのでね!インドネシアにはない面白いユニークなアイテムを見たら、思わず買いたくなりました。大きな旅行用バッグを1つだけ持ってきていたジャーとは大違いですね。ジャーは持ち物には無神経だったので。突然、オカサンさんがお土産として何かの包みをくれました。おかあさんありがとうございます! : “)さて、中身は何だろう、私は本当に興味がありました。
その後、ジャーと私は鳥取駅に10時15分に連れていってもらいました。鳥取支部の参加者は皆すでにそこにいました。私たちのガイドは桃さんです。突然、アイコさんという名前のボランティア姉妹がやってきました。日系アメリカ人の方です。電車を待っている間、私はあまり口数が多くありませんでした。私はただ微笑み、友達の写真を撮り、お互いにコミュニケーションを取り続けようと促していました。待ちことが多くなったとき、ふと鳥取のツアーマップを見ました。青山五正博物館のパンフレットを見ました。パンフレットには青山五正博物館の展示の一部が記載されていました。うわー、それはやっぱりアガサ博士の車でした!

写真ソース: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gosho_Aoyama_Manga_Factory.jpg
ネクタイ型変声機、スケートボードなど、コナンの装備はすべてアガサ博士によって作られました。砂で作られた名探偵コナンのキャラクターのミニチュアもありました。もちろん、鳥取は砂丘で有名です!
ふと私が探偵コナンが好きだと言ったとき、八頭高校の生徒が言ったことを思い出しました。彼らは「コナンなら博物館にいるよ」と言った。最初は、言葉の壁のせいで彼らが何を意味するのか分かりませんでした。パンフレットを見た今なら、なるほど。。。彼らが何をいいたかったのか理解しています!ワアア、私は本当にそこに行きたい!!!!あのとき学生が何を言っているのか理解できていたら、お母さんから休日にどこか行きたい場所を聞かれたとき、私は博物館に行きたいと言うでしょう。まぁ。。。これはまた鳥取に帰ってきなさいという思し召し、そう考えることにしましょう。うう、家に帰りたくない、私はまだここにいたいのに。日本についてまだたくさん知りたいことがありました。
鳥取駅から電車に乗り、姫路駅で新幹線に乗り換えて横浜へ向かいました。途中、田んぼや川をたくさん見ました。すべてがきちんと秩序だっていて、きれいでした。また、川の水はとても澄んでいました。川で遊びたい思わせるような透き通った水。
新幹線に乗っていたとき、電車の係員が通りかかりました。様々な食べ物や飲み物を買うことが出来ます。アイスクリームもありました。目の前に座った親切なニュージーランドの先生は、アイスクリームを私の分も一緒に買ってくれようとしました。うわー、どうもありがとうございました!しかし、アイスクリームはすでに多くが注文されていたので、残り1つとわかりました。 先生は私にアイスクリームをくれました。私はばつがわるい感じがしました。しかし、私がアイスクリームを返そうとすると、先生はノーと言いました。先生のご厚意です。先生、どうもありがとうございました。先生は私にアイスクリームをおごってくれたばっかりに、自分の分がなくなってしまいました。
Jenesysのプログラムの中で、私は多くの親切な人たちに会いました。私が会った外国人はみんなフレンドリーだった。みんなが私にとって兄弟姉妹のようでした^^景色を夢中で見ていると、桃さんは静岡を通り過ぎると言って富士山を見ていました。うわー、私はとても気になりました!新幹線が通りかかったとき、富士山は雲に覆われていて頂上しか見ることができませんでした。

雲の後ろの富士山
やっと横浜に着きました!桃さんは、横浜は東京に次いで人口が多い都市だと言った。駅からホテルまで歩いて行きました。ホテル名はプリンスホテル横浜。途中で、私はタバコの吸殻を見つけました。しかし、ごみといえば吸い殻だけが道に捨ててあった。気をつけてみておかないと、気が付かないでしょう。日本には喫煙する男性が多いことが分かった。うう〜喫煙者はいたるところにいました。インドネシアも、日本も、多くの人々が煙草を吸います。彼らは空気を汚しているのに、煙草を吸うことで彼らは笑顔を保つことができるというのは奇妙な話です。幸い、日本には喫煙室が多かったので、減煙にはなっていました。インドネシアでも喫煙室をもっと作るように願うばかりです。
プリンスホテル横浜に到着し、ホテルの建物が非常に独特なことに気づきました。1階と2階はデパートで、私は20階の部屋に泊まることが出来ました。自室に入る前に、日本のホストファミリーでホームステイ中に預けていたものを受け取りに10階に行かなければなりませんでした。その途中、インドネシア人学生ファジャールとアンナに会いました。私は彼らの下に駆け寄って懐かしのインドネシア語で話しました。こんなに幸せなことはない、私はホームステイ中にインドネシアの“バハサ”を耳にしていませんでした。どこに行っても聞こえるのは英語と日本語だったからです。
まだ全ての生徒が来ていたわけではないようでした。ルームキーをチェックすると、ジャカルタ支部の学生レイシャと再び同じ部屋で泊まるようにと言われました。部屋にはまだ誰もいませんでした。彼女はまだ到着していないようでした。彼女は2時間後に到着しました。その間、私は他のインドネシア人の学生とおしゃべりをしていました。同胞と出会うのは久しぶりでした(笑)。ホームステイは5日でしたが、インドネシアの学生がいなくて寂しかったです。彼らのホストファミリーについて話を聞いて、何度も笑いました。
夕食後、夜は勉強していました。ホームステイ中に経験したことを何でも書くように言われていたからです。CM10の学生と一緒にレストランで夕食を摂りました。CM10の子供たちは鳥取、松江、出雲、岐阜にホームステイをしていたようです。ホームステイ中に経験した最もユニークな瞬間を書くように言われていました。ホストファミリーに手紙を書きたい人は、ジェネシスの運営委員会が送ってくれます。そこで、私から感謝を込めて日本の「お母さん」と「お父さん」に手紙を書きました。ホストファミリーのおかげで私は多くの得難い学びを得ました。
実は、他のインドネシア人学生と経験したことをシェアするつもりでした。しかし、勉強していると深夜になったので、強い眠気に襲われました。寝るのを後回しには出来ませんでした。この日は本当に楽しかった。明日には横浜観光が待っています。それがもっとエキサイティングになりますように。: D
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